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相撲の決まり事

相撲の取組が始まり、どちらかの力士が土俵の外に出る又は足の裏以外が土俵に付くまで、行司が「ハッケヨイ、ノコッタノコッタ」と掛け声を掛け続けます。そして「土が付く」と言うと、相撲に負けることを表すとおり、先に土俵の外の土に体の一部が触れるか、先に土俵の内側の土に足の裏以外の体の部分が付いたほうが負けとなります。 その際、勝った力士が繰り出したことにより勝負が決まったときの技を決まり手と言って、現在82手あります。主な決まり手には、基本技の寄り切り、押し出しのように相手を土俵の外に出すもの、他に投げ手の上手投げ、下手投げのように、相手の足の裏以外の部分に土を付けるものがあります。その他に、非技と言って負けた力士だけの事情により足が土俵の外に出てしまう、または土俵に尻餅を付いてしまう勇み足や腰砕けのような勝負結果が5つあります。相撲は、格闘技というよりも武道であって、強い者はその力を正しく使わなければならないという哲学に基づき、暴力的な行為が禁止されています。それらの反則行為は、禁じ手と呼ばれ、立合いまたは取り組み中に禁じ手を用いた場合は、行司や審判委員の判定により反則負けとなります。具体的には、①握りこぶしで殴る、②髪の毛を故意につかむ、③目またはみぞおちなどの急所を突く、④両耳を同時に両方の掌で張る、⑤前立褌をつかみ、または横から指を入れて引く、⑥喉をつかむ、⑦胸、腹を蹴上げる、⑧手の一指または二指を折り返すの8つが禁じ手です。 相撲は、重心を体の中心に置いて正しい姿勢を保ち、自分自身の体重を負荷にして鍛錬を積むことで、相手の体重をも受け止めて踏ん張り、技を繰り出すことができるというものです。跳躍以外の足の裏が地面に接しているときに常に足の指先に力を入れることによって、体が安定し、踏ん張りが利くようになります。また、相撲には①蹲踞の姿勢、②四股の構え、③仕切りの型、④中腰の構え、⑤直立の姿勢の5つの基本姿勢があり、それらを盛り込んだ①気鎮めの型、②塵手水の型、③四股の型、④伸脚の型、⑤仕切の型、⑥攻めの型、⑦防ぎの型、⑧四つ身の型、⑨反りの型、⑩土俵入りの型、⑪上段の構え、⑫股割り、⑬均整の型の13の基本動作があります。力士は毎日、稽古で基本動作を行う他、鉄砲やすり足、取り組みを意識した体をぶつけ合う稽古を行っています。
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力士を目指すのに必要なこと

みなさんは相撲と聞くと、どんなイメージですか?一般的には、日本の国技、もしくは年配の方や海外の方からは人気そうといった感じではないでしょうか。しかし今、相撲はちびっこたちに人気で、男の子女の子問わず誰もが参加できるスポーツとなっています。また、海外からの注目度も高く、相撲部屋制度や名付け方法、力士の食生活などで海外からの取材も増えているそうです。 まずテレビでおなじみの日本相撲協会の力士になるにはいくつかの条件があり、年齢や身長、体重の制限があります。健康診断や新弟子検査にもクリアしなければなりません。これらに加えて、受け入れ先の相撲部屋を探して申し込みをします。こうして厳しいテストを通過した選ばれし力士の卵が各相撲部屋に入門し、強くなるために日々練習を積んでいくのです。お相撲さんのイメージは、大きくて太っていて、迫力がありますね。テレビを通して見るだけでも大きいのはよくわかりますが、実際に近くで見るお相撲さんの迫力は圧倒的です。筆者の父は大の相撲ファンで、小さいころからよく父に連れられ国技館へ足を運びましたが、子ども心にお相撲さんの迫力、大きさに毎回驚かされていました。 力士の食生活は、とにかくたくさん食べると思っているかたが多いと思いますが、実際には他のスポーツアスリートと同じく、高タンパクで低脂肪、ビタミンやミネラルが豊富でバランスのよい食事が大前提です。相撲界で筋肉の増加を伴わない体重増加は怪我のもと、と言われています。相撲部屋の食事メニューで有名なのはもちろんちゃんこ鍋ですね。これはとても理にかなった料理で、肉や魚のタンパク質、野菜やキノコ類のたくさん入ったちゃんこ鍋とご飯でバランスよく、しかも食べやすく準備する側もひと鍋で済むので簡単です。味付けや食材を少しずつ変えることで、毎日食べても飽きがこず、成長期のお子さんやちびっこ力士にも食べやすく万能料理です。まずはバランスよくたくさん食べて、体力を付けることが力士になる第一歩といえるでしょう。次に大事なのは基礎体力です。相撲の技を覚える前に、ランニングや水泳で持久力を高めたり、腹筋や背筋、サーキットトレーニングで筋力をつけ、瞬発力を高めたりするのが良いでしょう。これらの基礎体力があることで、相撲技の取得スピードは格段にアップします。直接相撲と関係なさそうなトレーニングも、大切な基礎の一部となるので力士を目指すのであれば、しておいて損はないでしょう。
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昨今の大相撲界

近年の大相撲界はモンゴル勢が多くを占め、その中で日本人やその他外国からの力士たちが頑張っているという状況です。しかしひと昔前は日本人力士の中に少数の海外勢がおり、相撲界を沸かせていました。相撲がかなり人気だった時代として特に印象的に残っている時代は、兄弟で横綱になった、大関で初代貴ノ花の長男3代目若乃花と次男貴ノ花がいた時代でしょう。この2人に横綱で共にハワイ出身の曙と武蔵丸が加わり、相撲界をおおいに賑わせていました。初代貴ノ花と初代若乃花は兄弟で、2人とものちに二子山親方となり多くの弟子を育てました。初代若乃花の息子が2代目若乃花となり、横綱にまで登り詰めます。そして、初代貴ノ花の息子たちが揃って横綱になったことで世間の注目度は一気に高まりました。特に1993年場所は盛り上がり、春場所はのちの若乃花が優勝、夏場所は貴乃花が、そして訪れた名古屋場所。ここでは1988年が初土俵となった曙、若乃花と貴乃花の3人が優勝決定戦まで残り、日本が相撲に釘付けになっていました。相撲協会の決まりとして、同じ所属部屋もしくは兄弟による対決は避けられており、唯一戦えるのは優勝決定戦のみ。なので日本中が若乃花と貴乃花の対戦を期待していました。ところが曙が先に2勝を勝ち取ったため、兄弟対決は実現されませんでした。しかしテレビ中継の最高瞬間視聴率は驚きの66.7パーセント。多くの人の記憶に残る、印象的な場所となりました。 そしてそのしばらくあとに相撲界に注目が集まったのが、モンゴル出身の朝青龍と白鵬が活躍したころでしょう。2人の直接対決は白鵬の13勝と朝青龍の12勝で、ほぼ互角。朝青龍は相撲以外の話題にも事欠かず、注目の的になることが多く、白鵬は確実に着実に勝ちを増やしていった印象です。白鵬は2020年3月場所終了の時点で44回の優勝回数。これは相撲界でダントツの1位で、1971年に引退した大鵬の32回優勝をかなり上回っています。3位は31回優勝の千代の富士、そして4位が25回の朝青龍となっています。また、白鵬は2010年に年間最多の全勝優勝を4回記録しており、これも相撲界で1位の記録となっています。各場所最終日の千秋楽を待たずの優勝決定数も20回の白鵬が1位。記録の上での白鵬の存在は大きく、相撲界に多大な貢献をしている力士のひとりと言えるでしょう。
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延期となってしまった2020US相撲オープン

2020年3月12日。約1ヶ月後にまで迫っていた2020US相撲オープンは、新型コロナウイルスの影響で開催できないことがわかりました。会場となるはずだったカリフォルニア州立大学ロングビーチ校が、予定されていた全てのイベントをキャンセルすると発表したからです。もちろん20周年という記念すべき大会でもあり、運営側は中止ではなく延期したうえでの開催を現在目指していますが、新型コロナ感染が完全に収束していない現状では、先行きは全くわからないというのが本当のところになります。とはいえ、多くの関係者の思いが詰まっているこの大会。きっとその情熱が、新型コロナの猛威も吹き飛ばしてくれるはずです。 過去のUS相撲オープンを振り返る 開催延期の代わりと言っては何ですが、ここでは過去に行われたUS相撲オープンについて振り返っていきたいと思います。1998年に日本で相撲を習ったというアンドリュー・フレウンドによってその萌芽が生まれたこの大会は、2001年に正式な年次開催として第1回大会が行われました。それ以降このUS相撲オープンは毎年開催され、年を追うごとにその規模を大きくし、日本以外の国で行われる年次開催のトーナメント戦としては世界最大規模のものとなりました。そのため世界各地からこの大会へ参加するために、多くの選手が国境を越えて集まって来るのです。 2020US相撲オープンに参加予定だった強豪選手 では、2020US相撲オープンに参加予定だった、強豪選手を何人か紹介していきましょう。もちろん彼らは、延期された大会が開催されれば、きっとその姿を現してくれるはずです。 住洋樹:もともと「飛翔富士」という四股名の大相撲力士であった住は、現在プロレスラーとしてアメリカに拠点を移し活動しています。彼は、2019年のUS相撲オープンに参加し、ヘビー級で3位となりました。しかし、元大相撲力士としては不満な結果であり、今回の大会に捲土重来を期すつもりでした。 ラミー・エルガザール:参加した5回の大会全てでメダルを獲得し、2015年には金メダルを獲得したエジプトの巨漢が、このラミー・エルガザールです。彼の227㎏という体重は、大相撲の現役力士の中に入っても最高体重に位置するほどです。そのスケールの大きな相撲が、再びUS相撲オープンで見れる日を楽しみに待ちましょう。 ロイ・シムズ:US相撲オープンで過去に2度も金メダルに輝いたことがあるアメリカの選手が、このロイ・シムズです。195㎝という懐の深さを活かし、相撲の世界選手権でも彼は銅メダルに輝いています。
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相撲界の知られざる「トリビア」を紹介

相撲は日本の国技として、国内外で高い知名度を誇ります。日本人であれば、相撲がどんなものならよく知っていると思いますが、実は、一般の人には知られていない面白い事実もあるのです。 この記事では、そんな相撲界のトリビアをご紹介します。 力士にはもとは太っていない人もいる 力士の体型としては、通常の人よりも大柄で脂肪がついているというイメージがほとんどでしょう。 もちろんそれは正しいのですが、元から相撲に適しているほど肉のついていた力士は実は多くありません。特に、日本人はやせ型が多いため、努力で相撲取りに相応しい体型になった人が多くいるのです。 また、強い力士になるには多大な筋力も必要となります。日々の稽古により、力士の体には脂肪だけでなくかなりの筋肉がついているのです。 力士は車を運転してはいけない 実は、力士は運転をしてはいけないというルールがあるのです 。 まだこのルールがなかった1985年に、現役力士が相次いで自動車事故を起こし、日本相撲協会がこの力士の運転禁止のルールを制定しました。そのため、現役力士はタクシーや専用車を利用して移動しています。 法律で決められているわけではありませんが、このルールを破った力士は協会から厳しい処分を下されることがあるようです。 横綱は18世紀にできた比較的新しい称号 力士の中で最高位とされる横綱は、実は相撲の歴史においては新しい称号です。 日本では紀元前から相撲についての記述が文献に登場しますが、横綱という称号が誕生したのは1700年代の終わりのことです。 江戸時代に相撲が盛んになると、1791年に幕府公認のもと、横綱が誕生します。当初は力士番付の中では大関が最高位であり、横綱は大関のうちの相応しい者に与えられる名誉称号でした。横綱の称号が地位として定められるようになったのはそれからさらに約100年後の1909年だということです。 まとめ 知らないトリビアはいくつありましたか? このように、相撲界には一般の人が知らないような興味深い事実が沢山あります。普段テレビや土俵の上で見ている相撲というスポーツは、こうした裏側を持ちながら、古代から伝統を守りつつ発展してきたのです。
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本場所について

相撲が好きなら一度は生で本場所を見てみたい!と思うことでしょう。本場所は年に6回開催されていて、それぞれの開催毎に優勝者が決まるシステムになっています。開催場所は固定で、1、5、9月は東京。3月は大坂、7月は名古屋、そして11月は福岡での開催になります。15日間連続で開催され、初日と最終日(千秋楽)は日曜日となります。 本場所一日の進行 朝8時頃に会場前の高櫓から30分程「寄せ太鼓」と呼ばれる太鼓が叩かれます。そして序の口から取り組みが始まり、序二段、三段目、幕下と続いていきます。序の口の取り組みの前に番付外の力士による取り組みがおこなわれる日もあり、それは「前相撲」と呼ばれます。幕下の取り組みが終わると、十両、幕内と進み、だいたい18時頃に全ての取り組みが終了します。これが本場所の一日になります。
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朝青龍

第68代横綱朝青龍明徳。引退時の騒動のため品格が重要な横綱にあっては最強と呼ぶことに抵抗感がある、という方もいらっしゃると思いますが、しかしその強さの瞬間最大風速は見るものに「最強」と叫ばせるだけのインパクトがやはりありました。モンゴル出身ながら日本人力士と余り変わりない体型で、しかしその腕(かいな)力は並ぶものがありませんでした。その豪快な取り口で多くのファンを魅了したのです。 もしも二強時代が続いていた もしも朝青龍と白鵬の時代がもっと長く続いていたら一体どれ程の名勝負が生まれたことでしょうか。相撲ファンの誰もが夢想することですが、僅か3年程度で終わったしまった2強時代を惜しむ声は未だに大きいのです。それほど魅力的な横綱が朝青龍だったのです。
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大鵬

第48第横綱大鵬幸喜。「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉で有名ですが、昭和の高度成長期を迎える中で、大衆に最も愛されたものの象徴となるくらいの国民的人気を博したのがこの大鵬なのです。優勝回数32回は白鵬に抜かれるまでの最多優勝記録。入幕から引退の12年間、毎年必ず1回以上の優勝を果たし、これも白鵬が14年連続と更新するまでトップの記録でした。連勝記録は45と歴代4位ですが、「世紀の大誤審」と言われた戸田との一番がなければ一体どれほどの連勝記録を残したことでしょう。 柏鵬時代 同時に横綱に昇進したライバル柏戸とともに、この時代は柏鵬時代と呼ばれました。しかし横綱に昇進後の対戦成績は柏戸を圧倒。18勝9敗と名横綱と言われた柏戸でさえ太刀打ちできない強さを誇ったのです。
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千代の富士

第58代横綱千代の富士貢。力士としては小さい体、度重なる脱臼を克服し、昭和最後の大横綱となりました。優勝回数31回、通算1045勝はどちらも歴代3位の記録。最多連勝記録53連勝も昭和以降では双葉山、白鵬に続く歴代3位の記録です。そして史上最多の通算勝ち星記録を更新(当時)したことで、大相撲史上初めての「国民栄誉賞」授与という栄誉を受けることになります。 昭和とともに 彼が昭和最後の大横綱、と言われる理由がその去り際です。引退した1991年は昭和という時代が終わり、平成という新しい時代が始まった頃でした。その頃の各界には貴花田(後の横綱貴乃花)を筆頭に沢山の若い才能が芽吹いていました。彼らとの一番に敗れた千代の富士は、若い世代へとそのバトンを託し、昭和という時代とともに土俵を去っていったのです。
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北の湖

第55代横綱北の湖敏満。「憎たらしいほど強い」と言われた安定した強さは多くのアンチを生み出しましたが、逆に彼に果敢に挑んだ大関貴ノ花や横綱千代の富士の人気を押し上げたと言ってもいいでしょう。横綱在位63場所は歴代2位。1978年に記録した年間82勝という記録は、朝青龍が84勝を記録するまで27年間も破られることはありませんでした。 ライバル輪島 そんな強すぎる横綱、北の湖でしたが、実は強力なライバルが存在しました。それが横綱輪島です。対戦成績は21勝23敗と負け越していて、ほとんどの力士に大きく勝ち越していた北の湖としては異例中の異例でした。「輪湖時代」とも呼ばれたこの時代、千秋楽結びの対戦を二人が優勝圏内で迎えたのが7回。その内相星決戦が4回という白熱したライバル関係を繰り広げたのでした。
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