近年の大相撲界はモンゴル勢が多くを占め、その中で日本人やその他外国からの力士たちが頑張っているという状況です。しかしひと昔前は日本人力士の中に少数の海外勢がおり、相撲界を沸かせていました。相撲がかなり人気だった時代として特に印象的に残っている時代は、兄弟で横綱になった、大関で初代貴ノ花の長男3代目若乃花と次男貴ノ花がいた時代でしょう。この2人に横綱で共にハワイ出身の曙と武蔵丸が加わり、相撲界をおおいに賑わせていました。初代貴ノ花と初代若乃花は兄弟で、2人とものちに二子山親方となり多くの弟子を育てました。初代若乃花の息子が2代目若乃花となり、横綱にまで登り詰めます。そして、初代貴ノ花の息子たちが揃って横綱になったことで世間の注目度は一気に高まりました。特に1993年場所は盛り上がり、春場所はのちの若乃花が優勝、夏場所は貴乃花が、そして訪れた名古屋場所。ここでは1988年が初土俵となった曙、若乃花と貴乃花の3人が優勝決定戦まで残り、日本が相撲に釘付けになっていました。相撲協会の決まりとして、同じ所属部屋もしくは兄弟による対決は避けられており、唯一戦えるのは優勝決定戦のみ。なので日本中が若乃花と貴乃花の対戦を期待していました。ところが曙が先に2勝を勝ち取ったため、兄弟対決は実現されませんでした。しかしテレビ中継の最高瞬間視聴率は驚きの66.7パーセント。多くの人の記憶に残る、印象的な場所となりました。 そしてそのしばらくあとに相撲界に注目が集まったのが、モンゴル出身の朝青龍と白鵬が活躍したころでしょう。2人の直接対決は白鵬の13勝と朝青龍の12勝で、ほぼ互角。朝青龍は相撲以外の話題にも事欠かず、注目の的になることが多く、白鵬は確実に着実に勝ちを増やしていった印象です。白鵬は2020年3月場所終了の時点で44回の優勝回数。これは相撲界でダントツの1位で、1971年に引退した大鵬の32回優勝をかなり上回っています。3位は31回優勝の千代の富士、そして4位が25回の朝青龍となっています。また、白鵬は2010年に年間最多の全勝優勝を4回記録しており、これも相撲界で1位の記録となっています。各場所最終日の千秋楽を待たずの優勝決定数も20回の白鵬が1位。記録の上での白鵬の存在は大きく、相撲界に多大な貢献をしている力士のひとりと言えるでしょう。
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